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「母性」は女性であれば誰もが持っているものなのか。ミステリーの女王・湊かなえの衝撃作『母性』

DINKsや選択子なしに関する知見を深めていくため、小説や映画もよく資料にさせていただくのですが、そんな中気になる作品を見つけました。
イヤミスの女王・湊かなえさん原作の映画『母性』です。

「子どもを育てることに不安がある」「子どもが欲しくない」と発信している方の中には「母性がないから」という表現をされる方も多いですよね。
母性を感じられない自分はきっと子育てに向いていないんだ、と思っている方もいると思います。

母性は女性であれば誰しも備えている本能的なものだというイメージが強いですが、そもそも「母性」とは一体何なのか。
母性は女性であれば本当に誰もが持っているものなのか。
子供を産んだら自然と芽生えるものなのか。

今回は、愛せない母と愛されたい娘の歪んだ関係性をモチーフに母性について切り込んだ映画『母性』をご紹介いたします。

▼『母性』湊かなえ 新潮文庫

母性 (新潮文庫) [ 湊 かなえ ]

映画『母性』のあらすじ

映画 母性 あらすじ

まずは映画『母性』のあらすじを簡単に見ていきましょう。

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ある日、女子高生による飛び降り自殺のニュースが報じられます。
その女子高生はとても自殺をするような子ではなかったそうですが「母親との関係性に悩んでいたらしい」という噂も。
しかし、実の母親は愛情をたっぷり注いで育てたと主張していて「愛あたう限り育ててきた娘が自殺など考えられない」とショックを受けているそう。
このニュースについて知った教師の清佳(永野芽郁)は、他人事とは思えないこの事件について思いを巡らせ始めます。

物語は、清佳の母・ルミ子(戸田恵梨香)が教会で神父様へ心情を語り始めるところから始まります。

母と娘、それぞれの視点で二人の過去が語られていきますが、二人の主張は見事に食い違っており…。

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母親からたっぷりと愛情を注がれて育ったルミ子。

ルミ子は絵画教室で田所哲史(三浦誠己)と出会います。
はじめは田所の描く絵が嫌いだったけれど、母が田所の絵を褒めたことから興味を持ち、母に喜んでもらおうと田所に絵をくれるように頼んだことがきっかけで、二人の距離は近づいていきました。

そして24歳で田所と結婚。
頑張って作った料理や新しい髪型を褒めてもくれない田所との淡白な結婚生活だったけれど、母から褒めてもらうことでルミ子は満たされていました。

そして田所との娘(清佳)を授かったルミ子。
妊娠がわかった時も、夫である田所ではなく、母の存在がルミ子の心の支えになっていました。
そして彼女は出産当日も、生まれた娘(清佳)ではなく、母の顔を見て安堵の表情を見せます。

産後もルミ子は母を喜ばせたいという一心で子育てをし、娘である清佳の気持ちではなく母を基準に考えを押し付ける日々。

ある嵐の夜、火事が起き、母と娘の命の選択を迫られる場面でルミ子が取った行動は…。

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清佳は、幼い頃から母・ルミ子の関心が自分にないことを知っていました。
それでも母に愛されたいと願い続け、いい子でいることを心がけて育ちます。

父である田所の家族と同居をし始めて姑からいじめられるようになった母・ルミ子が心配で清佳は度々助けようとしますが、ルミ子は自分に対して冷たいまま。それどころか「なぜいつも邪魔ばかりするのか」と責められます。

大人になってから、あの嵐の夜にルミ子の母である自分の祖母が自分を助けるために亡くなったという事実を知り、清佳は泣きながらルミ子に謝ります。
その時ルミ子が取った行動は…。

「女には二種類ある。母と娘です。」

母と娘の証言が見事に食い違っているところに静かな恐怖を感じる本作。

例えば、母・ルミ子の記憶の中で「お弁当を床に落としてしまった」という描写があるのですが、娘・清佳は「(母が)お弁当を床に投げつけた」と記憶しています。
このほかにも記憶の食い違いが多数あり、結末に繋がっていきます。

二人の記憶しか語られないので真実はわかりませんが、どちらか片方の記憶だけが正しいのではなく、互いに自分の記憶を都合のいいように改ざんしてしまっていると考えると興味深いです。

ルミ子は娘である清佳を愛せていないけれど「母は子を愛さなければならない」という母からの教えに囚われていました。
だからこそ娘を愛してきたかのように自分の記憶を改ざんしてしまう。
そして清佳は、自分を愛してくれない母に「愛されたい」と切実に求めて生きてきたからこそ、母に愛されなかった記憶の方が色濃く残っており、過剰な態度を取られたような記憶に改ざんされている、と。

そしてこの映画はタイトルになっている「母性」について深く考えさせられる作品。
冒頭でもお話ししたように「母性」は女性に備わっている本能的なものであるというイメージが強いですが、母・ルミ子の行動からは母性が感じられません。
母性は本当に全ての女性に備わっているものなのでしょうか。
子供を産んだら自然と生まれるものなのでしょうか。
そんな疑問を感じさせる作品になっています。

ルミ子は自分の母から愛をたっぷりと注がれて育っており、そんな母を愛していました。
しかし、自分が母親になっても娘への愛情の注ぎ方はわからなかった。
ルミ子は子供を産んでもいつまでも「娘」のままだったのです。

清佳の言葉「女には二種類ある。母と娘です。」がこの作品の本質を表しており、湊かなえさんがこの作品を書こうとしたきっかけです。

湊かなえさんのコメント

どうして『母性』のような話を書こうと感じたのかを説明するのはとても難しいのですが、あるときこう思ったんです。
女性には「母」と「娘」の二種類いるのではないか。
母になることができる女性と、娘であり続けたいと願う女性。
いいかえれば、「母性」を自然に持っているような女性と、どうやっても手に入れられない女性。
結婚して子供ができたら誰にでも自然に「母性」が芽生える、もっと強く言ってしまえば、女性であれば誰でも「母性」を持っている、と一般的に考えられているように思います。
果たしてそうでしょうか。
女性であれば誰でも「母」になれるのでしょうか。
そもそも、形もなく目にも見えない「母性」は、本当に存在しているのでしょうか。
直感的に、私は違うと思いました。
誰もが「母性」を持ち、「母」になれるとは限らないのではないか。
幸せな家庭で育ち、いつまでも愛するあのひとたちの子どものままでいたい、庇護され続けたい。
「母」であるよりも「娘」であり続けたい、とどまり続けたい。そう思っている女性も、きっといるはずです。

まとめ

映画『母性』は、女性ならば誰もが「母性」を持っているというイメージに疑問を呈する作品でした。
母と娘の記憶の食い違い、そしてその食い違いがもたらす衝撃のラスト。
まだ観たことがないという方はぜひこの機会に観てみてくださいね。
Netflixで現在配信中です。

興味のある方は原作の小説『母性』もぜひご一読ください。

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